ちなみに腕からじゃなくて、じょうみゃく?どうみゃく?の太い血管から薬を入れるために
鎖骨の下辺りへ点滴の管を刺してたんだが、それらを固定するために
肌に直接糸で縫いつけたんだが
あれがすごく痛かった・・・
副作用で、よく吐き気とか言われてるが、自分は吐瀉物の匂いが苦手なので出ないように祈ってた。
以下、お食事中の人は注意。
抗がん剤を入れ始めて30分ほどした後から、一気に気持ち悪くなった。
そのとき、当時好きだった人と電話でしゃべってたんだが
しゃべってる途中で吐きそうになり
しかし、スイーツ()だった自分は吐く事を悟られたくなかったので
「ごめん眠くなっちゃったから寝るね☆電話ありがとう☆」などと都合のいいことを言い
トイレにダッシュし思う存分吐いた。
夕食で食べたものが全部出ていた。
これは・・・と思ったが、嘔吐は1回では終わらなかった。
腕の血管だと抗がん剤が漏れた時にリスクがあるんだよね。
鎖骨下に中心静脈があるから抗がん剤治療の時はそこを利用する。
抗がん剤はメソトレキセートかな?
そうなのかー!教えてくれてありがとう。
確かに、逆流したり腕がパンパン?になってる人もいたようで
大変そうだったなぁ。
抗がん剤の種類は覚えてないやwごめん。
なんか透明のやつと、パイナップルジュースっぽいやつだったと思う。
とにかく出るわ出るわwww30~1時間ごとに吐く。
寝ていても吐き気で起きる。
自分は本当に吐瀉物の匂いが苦手だ。
妹の嘔吐臭でもらい嘔吐スキルを発動するレベル。
本当に嫌だったが、洗面器に吐くと処理も大変だし
一時的に我慢しても結局吐いてしまうので
催しそうになったらダッシュでトイレに行き、思う存分吐くスタイルを取ることにした。
個室ということもあり、トイレまでの距離が近いことも幸いし
トイレダッシュスタイルが失敗したのは、闘病中1回だけという
意味不明な自慢をしておきたいと思う。
病名は違うけど腫瘍ができた位置が似てて
勝手に感情移入中
そうなのか・・・
病気にかかってしまって本当に辛いと思う。
寝てるときに、自分は結局もたないんじゃないかな?ってネガティブになったりしない?
ネガティブになるね。
手術失敗したらどうしようとか、顔付近だから痕のこったらどうしようとか。
幸い1みたいに半年入院とかじゃないけど
やっぱり辛いものがあるね
しかし、次の副作用が始まった。
抗がん剤は、悪いがん細胞をたたくのはもちろん
良い細胞もたたいてしまうものらしい。
そのため、一時的に白血球が低下して、熱が出たり、感染症にかかりやすくなるらしい。
そのため、クリーンルームに隔離するとか。
(医学的なことはわからないのでこんな説明になってしまう。誰か間違ってたら訂正よろ!)
自分はこの高熱もなかなか辛かった。
とにかく40度台まで熱が上がる。
最高41度。
42度になると、たんぱく質が固まって脳が・・・とかいう話を聞いたことがあり
超gkbrしていた。
眉毛先生に、とにかく高熱がつらいことを訴えると
「解熱剤をあげましょう」
といわれ、解熱剤をもらった。
そうすると、30分くらいで熱が下がるのだが
数時間するとまた上がってしまう。その繰り返し。
また、一日に使える解熱剤の数も決まっており
夜中に効果が切れてしまったときは一晩中うんうん言っていた。
それが5日間くらい続き、
治療が始まった当初は楽勝wwwwwというテンションだった私の心は折れた。
17歳なのに学校にも行けず遠足も行けずバイトも遊びも行けずピアノも弾けず生ものも食べられず
こんなクリーンルームとかに閉じ込められてるアタシカワイソウ!!
という発想で、家から車で40分くらいかかる距離を2日に1回お見舞いに来てくれる母のことや、
仕事が終わってからお見舞いに来ておもしろい話をしてくれる父のこと、
病院から5分くらいのびっくりドンキーでバイトを始めてくれて、バイトの日はほぼ毎日来てくれる妹のこと、
相変わらず受験で大変なのに手紙をくれるクラスメイトのこと、
毎日外の世界のことを話してくれる友人のこと、
ほんとうに何も見えなくなっていた。
1週間くらい泣いた。
ティッシュをびりびりに破ってみたり、眉毛先生や看護師さんたちにわがままを言ったりなど
入院中の黒歴史である。
しかし黒歴史はあるときをきっかけに終わることになる。
>>8
で書いたクールビューティー先生が現れた。
後出しになってしまうが、
>>8
の手術前に少しだけ話したとき、クールビューティー先生は、
自宅と同じ町内の、中規模な病院の院長先生の娘さんと聞いており
同じ町内に住んでいることを知っていたので、勝手に親近感を持っていたりしたw
「1ちゃん元気ないんだって?そろそろクリスマスだからクリスマスプレゼント持ってきたよ」
「1ちゃん眠れないことを気にしてるって聞いたよ。
眠れないときは携帯電話でもいじったらどう?
最近ゲームとかあるんでしょ?あっ本当は携帯電話NGだけどねww」
「1ちゃん、元気になってまた耳鼻科に遊びにきてよww」
そう言うクールビューティー先生の手には、サンタクロースのキーホルダー人形があった。
クリーンルームという狭い世界で鬱になってた自分を確実に変えてくれた、と思う。
これは私の推測だが、医師から患者に個人的にプレゼントを渡すというのは、
若手のクールビューティー先生にとって本当は規則に反することだったのかもしれない。
けど、クールビューティー先生は全くそれを感じさせず、私に言葉をかけてくれた。
それが本当にうれしかった。
そこからは鬱モードになるのをやめ、
絶対に生きる!絶対にクリーンルームから出る!という気分になった。
気持ち悪いくらいに変わった自分を見て、看護師さんは「1ちゃんいい子になったねw」と言ってくれた。
眠れなくて辛い日には、携帯で風来のシレンをやって暇をつぶした。
また、同じ病気の人から借りた漫画を読んだりしていた。
色々あったが、抗がん剤→吐く→高熱→副作用なくなる、という経過を経て
治療の1クール目が終わった。
抗がん剤→吐く→高熱とか色々→副作用なくなる(白血球復活)→また抗がん剤、というサイクルで
基本的に2週間に1クール(体調がなかなか復活しないときは3週間で1クールとか)行った。
自分は少しずつ治療に慣れ、
妹の持ってきてくれたハリボーグミを無駄食いしてはトイレダッシュ嘔吐コンボを決め
「レインボーが出たよ!」とはしゃぎ
味の薄い入院食にえぐえぐ言ったり、たまに将来を悲観して泣いたりしながら過ごしていた。
まず、暇つぶしの漫画を貸してくれたお兄さんは33歳子持ち、奥さん妊娠中と聞いた。
「江戸前の旬」を全巻貸してくれたので、江戸前さんと呼ぼうw
江戸前さんは信用金庫勤めで、接待のゴルフ中に倒れたことで病気が発覚したとか。
私は、両親に守られて過ごしていたが、彼は奥さんや子供を守る側だった。
闘病は本当に大変だろうに、それを全く顔に出さない人だった。
「泣いて病気が治るんだったらいくらでも泣くけどさぁwwwそうじゃないじゃんwww
だから俺はグルメ雑誌とか見て過ごすわけww退院したときにいっぱい食えるようにな!!!」と言っていた。
そんな明るい江戸前さんが私は仲間として好きだったし、元金融業界にいた父ともよく話していたようだ。
私と違ってクリーンルームには入らなかったので、途中からあまり話せなくなってしまったが
私の誕生日には、看護師さん経由でお菓子をくれたりした。
江戸前さんの明るさに救われていた部分も多々あった。
当時24歳くらいのやんちゃそうな感じで、同じくクリーンルームに入っていた。
クリーンルームに、共有の電子レンジがあり、色々と食べていたのだが
お前食うの速いなwwとかからかわれたりしていた。
同じ病名ということもあり、会えば話をしていた。
病室のテレビは基本的に有料(テレビカードを買う)のだが、
お兄さんはPCを持ってきて、PCでテレビを見てるから
料金はかからないと自慢された。
自分のPCを持っていなかった自分は、ちょっと悔しかった。
まぁ、江戸前さんもテレビお兄さんもいなくなっちゃうんだけどね。
えっ
江戸前さんかっこいいと思ったら(´ω`)
物静かな白血病のメガネのお兄さんがいて
お互いに副作用が~とか、不謹慎ネタを言い合って過ごしていた。
あっという間に年末になり、いつもは紅白を見ながらみんなで年越しすき焼きを食べるのに
この年は病室で一人寂しく過ごした。
元日には両親と妹がやってきて、あけましてー、とかさっさと退院できるといいねー、とか言いながら過ごした。
そして、1月の2週目から治療の最終クールを行うことになった。
とりあえず、このクールが終わったらもう一回最初にやったような検査をして、
体内がどうなってるか改めて調べるらしい。
ちなみに、1クールごとに脊髄に注射(マルクというらしい)をして、
脊髄にがん細胞がどれくらいいるのか?というのを治療の目安にしていたようだが、
3クール目くらいから、脊髄にはほぼがん細胞はいなくなっており、自分はいけるんじゃないかと思っていた。
しかし懸念していることが一点だけあった。
手術で切除した際にほとんどなくなり、治療を行ったことによりしこりが再度大きくなることはなかった。
しかし、5クール目くらいに、大きいしこりがあったごく近くに、
小指の先くらいの小さなしこりがあることがわかったのである。
その小さなしこりが今回の病気によるもので、最終クールの治療を行ってもなくならないようであれば
また別の治療を考えなければならない。
眉毛先生は、やはり耳鼻科で手術しないとなんともいえないが、
位置の関係上、今回の病気によるものの可能性が高い。とりあえず最終クールの治療を行い、その後調べる。
と言っていた。
副作用コンボには慣れたし、病院にも馴染んではいたが
やっぱり外の世界で暮らしたいし、入院長期化は嫌だった。
そして最終クールの治療が終わったが、
小さいしこりはなくならなかった。
冗談じゃなく、テンション的には「ダメかも・・・」くらい、お先真っ暗状態だった。
家族全員が集められ、CTスキャンの画像を見ながら
眉毛先生による説明が行われた。
眉毛「えー、治療が全て終わり、血液検査やマルクの結果もよく
1さんもご家族も良くがんばりました。
とりあえず退院はしておkです。」
1&家族「え?いいんですか?」
眉毛「しかし、ここにやはり小さいしこりが残っていますね」
眉毛「これの正体がわからないと、寛解(血液の病気で言う完治みたいなもの)とはいえないでしょう。
別の日に再度手術をして、調べてみましょう」
というわけで、別の日に手術を行った。
執刀はクールビューティー先生で、再手術にもかかわらずうれしかったのは秘密。
左顎の下という位置にもかかわらず、なぜか結構喋れたのだが
麻酔がちょいちょい効いていないのか
「すいません、いたいれす」
「あー!むりむり!今きってるでしょ?おえええ」とか言って、
先生も看護師さんも苦笑していたw
うるさい患者である。
クールビューティー先生「1ちゃーん、しこり取れたよー」
1「どんなれすか?あくにんヅラしてる?」
「お母さんには見せておくけど、1ちゃんは安静ねー、
ちなみに最初よりは悪人ヅラしてないよ」
「ありがとうございまふ」
この手術の結果はやはり2週間くらいかかるらしく
電話がかかってくるまで家で待機していた。ちなみに、生きた心地は全くしなかった。
結果をお知らせするので、病院に来てくださいといわれた。
クールビューティー先生「1ちゃん、今回はね」
1「(どきどき)はい」
「悪性じゃなかったよ」
1、J( ‘ー`)し「おお!」
「詳しいことはまた眉毛先生から解説があるから、そっちでね(ニコッ」
いそいそと血液内科の病棟へ
眉毛「おめでとうございます、と言ってはなんですが、
この腫瘍は悪性ではなく耳下腺が石灰化したうんぬんかんぬん(以下ry
つまり悪性腫瘍ではありませんでした。本当によかったですね。」
1、J( ‘ー`)し「先生ありがとうございます、本当にありがとうございます」
眉毛「というわけで取り急ぎ寛解ということになりました。
こういう病気は、寛解後5年再発しなかったら完治、という目安があります。
次回は1ヵ月後、その後の最初の1年間は3ヶ月ごと、2年目は4ヶ月ごと、3年目からは半年毎にきて下さい。」
がん細胞には悪いがボッコボコにさせていただいた。
いやボッコボコにしたのは私じゃなく眉毛先生だけれども。
通院は面倒だが、まだ入院してる江戸前さんやテレビお兄さんの顔も見れるから
まぁいいか、と思っていた。
とにかく私は病気に勝った。それが本当にうれしかった。
眉毛先生の言うとおり、最初は1ヶ月後に病院に行った。
再発なし。無罪放免である。
忙しい先生には悪いが、どうしても聞きたいことがあった。
1「眉毛先生、あの、テレビお兄さんって眉毛先生が担当ですよね?
元気にしてますか?」
眉毛「あー、あの人はね」
眉毛「亡くなったの」
私ポカーン。
嘘だ。
同じ病気で、同じように先生の治療を受けて
同じように過ごしていたのに、同じ食べ物を食べていたのに
嘘だ。絶対に嘘だと思った。
そのまま入院病棟に行った。
顔なじみの看護師さんに挨拶とお礼をしつつ、
さりげなくテレビお兄さんのことを聞いてみる。
小声で、亡くなったの、と言われた。
他の患者さんもおり、小声の会話になったが
「お線香を上げたい」ということを伝え、ご家族の方に連絡してもらえるように頼んだ。
母が出て、取り次いでくれた。
1「あ、あの」
テレビ母「ごめんね、あの子亡くなったの」
1「お辛いときに、申し訳ありません。入院中は大変お世話になりました。
お線香を上げさせていただけないでしょうか」
テレビ母は、ご自分も辛いときだろうに快く応じてくれて、ご住所を教えて頂いた。
その次の土曜日に約束をして、電話を切った。
テレビさん宅には、父が連れて行ってくれることとなった。
テレビ母「あなたが退院した後、うちの子はちょっと悪くなっちゃってね・・・
眉毛先生に治療してもらったんだけど駄目で。最後に眉毛先生の判断で外泊させてくれたの。
でも、その時にはもう足腰が弱っていて。自分の部屋には行けなかったわ。
それでも好きなテレビを見たり、笑って過ごしていたの」
「外泊が終わって、病院のベッドに戻った後、しばらくは話が出来たんだけど」
「突然”うっ”て言って、気を失っちゃってね、そのまま」
テレビお兄さんにお線香をあげて、その日は帰宅した。
同じ病名がつき、同じ先生に治療を受け、自分だけが助かった。
自分が現れることでテレビ母に辛い想いをさせてしまったのではないか、
もっと考えてから行けばよかった、無神経だったと反省した。
の一行目おかしいなごめん。
続き書きます
それから自分は、徐々に回復していった。
高校にはいけなかったが、先生たちのお情けで課題だけで卒業させてもらった。
ちなみに、みんなの卒業式は3月1日だったが
自分だけ、3月の半ばに特別に卒業式をやってもらった。
普段は入れない校長室に、クラスのほぼみんなが集まってくれて、
何かスピーチを、と言われた。
「私は病気にかかってしまったけど、クラスのみんなが千羽鶴や手紙をくれた。
無事こうやって卒業できたのはみんなが励ましてくれたおかげもあると思う。
お世話になった人たちに恥の無い人生を生きたい」
みたいなことを言ったと思う。
ちなみに、お父さんからも一言・・・と担任の先生に言われ
普段は絶対に泣かない父が号泣していた。
私の入院中、父は気丈に振舞ってくれていたが、やはり辛かったのだろうか。
母はいうまでも無く、卒業式の最初から号泣していたw
夏ぐらいには、普通に動き回れるくらい回復していた。
私は社会復帰の一環として、父が働いている会社での
事務仕事のバイトを紹介してくれた。
外出時にヅラが蒸れて暑かったことをなんとなく覚えているw
そして、蒸れたヅラと共に、江戸前お兄さんのお見舞いに行った。
しかし、看護師さんに退院したといわれた。
テレビお兄さんと違って、江戸前お兄さんとはメールアドレスを交換していたので
「退院したって聞きました!おめでとー!」とメールしたが
なぜかメーラーデーモンさんからお返事がきた。
え、ちょ、と思った。
お互い退院したら、江戸前さんの奥さんやうちの両親も含めてみんなで
旨いと評判のラーメン屋にいくと約束していたはずなのに、
忘れ去られていたのかもしれないと思うと悲しい気持ちになった。
そして、バイト中に実家に掛かってきた一本の電話で、真実を知ることになる。
バイトから帰ると、母が泣き笑いみたいな顔をしていた。
J( ‘ー`)し「1・・・落ち着いて聞いてね」
1「え?どしたの?」
J( ‘ー`)し「江戸前さん、亡くなったんだって」
1「まったまたーwwwww」
J( ‘ー`)し「いや、ほんとに。」
「1がバイト行った後に、江戸前さんの奥さんから電話をもらってね。
最近亡くなったって。
電話だから、詳しいお話は聞けなかったんだけど
電話の後ろで、お子さん二人の遊んでる声がして
それでお母さん悲しくなっちゃって・・・住所とか聞けなかったの
1「・・・」
J( ‘ー`)し「1ちゃん、江戸前さんから漫画借りてたでしょ。」
確かに、江戸前の旬は返したが、そのとき発売されたばっかりだった
「クロス・ゲーム」の一巻を借りていた。
J( ‘ー`)し「奥さんね、そのことを知ってて。
それは形見として持っていてください、
そしてそういう人がいたことをたまに思い出してあげてくださいって言われたのよ。」
その後は、父が「江戸前さんの分も生きような」とか言ってた気がするが
あまり覚えていない。
数回ほど携帯メールをしてみたが、
返事をくれるのはメーラーデーモンさんだけだった。
それから、テレビお兄さんと江戸前さんのことを引きずりながら
私は進学、就職をした。
時折、命を失うことへの恐怖が襲ってくることはあるけれど
それを乗り越えながら、この前やっと寛解から5年が経ち
幸いにも再発は無く、完治と呼べる状態になった。
実家は東北の山奥だが、今は東京近辺で一人暮らしをしながら、
会社に行っている。
だけど、逝ってしまった人もいる。
何が運命を分けるのか、あれからずっと考えているけれど
未だにわかっていない。
江戸前さんにはまだ、お線香を上げられていない。
仕事でめちゃくちゃ怒られたときはかなり凹むが
それでも、あのクリーンルームでの経験に比べたら
まだましだよなぁって、また会社に行く気力が沸いてくる。
生きていると色々あるけれど、私はこれからも生きていきていきたいと思う。
マンガを大切にして、江戸前さんを時々
思い出すことでいいんじゃない?
ありがとう。漫画は今でもちゃんと持っているよ。
無理なのはわかってるけどもう一回会いたいなぁ。
今は幸せだよ、自分が普通に働けてることで両親がかなり嬉しそうにしてくれてることもあるかな。
妹も就職が決まったしね。
神様はいないと思うなぁ。いたとしたら、私な不道徳なやつよりも
二人のお兄さんを助けてくれたと思う。
もしいたとしたら相当文句言う自信はある。
あ、眉毛先生は神様だと思っているけどww
あごの傷は気になるの?
自分は断然ラーメン派、油少な目麺固めメンマトッピングで頼む
あごの傷は今でもうっすら残ってるけど
あごを引いちゃえば見えないからあまり気にならないよ。
俺は油少なめ麺固めで煮玉子トッピングが好きだw
傷が目立たなくてよかったね。
クールビューティーせんせ腕いいんだな。
とりあえず良かったね。
年が近そうなので感情移入してしまいました。
体を大切にね。
構ってちゃんとかたたかれると思ったが、ヌクモリティを貰えて本当に嬉したったんだぜ。
こんな時間までお付き合いいただき、レスを頂きありがとうございました。
あっ。
しんみりさせちゃったところ悪いけど、どうしてもはっきり言いたかったことがあった。
1は刺身とか生クリームとかすき焼きの生卵とかいわゆる生ものが大好きなんだが
入院中は、感染源になるかもしれないということで
それらを一口たりとも食べられなくて辛かった。
クリスマスケーキや誕生日ケーキは妹に全て奪われたからな。
けど今はwww社会人になったので自分のお給料で生もの食べ放題ですwwww
マイブームはえんがわですwwwwえんがわえんがわwwww
それだけは言わせていただくwww
ではでは!本当にありがとうございましたー!ノシ
良い夢見ろよ(-_-)zz
幸多からんことを祈ってるよ。
>>1
ちゃんには幸せになって欲しいよ
乙
頑張ってな
感動した!!!!
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引用元: http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1330185134/
千羽鶴って授業中に折ってる奴がいたり強制してくるやつがいてウザいんだよな
ちょっと待って。
「ピアノ教室が一緒で、一つ年下の幼馴染みのT君」とのエピは何処へ行った!?
もちろん、報告者さんを追い掛けるように都会に出て来ていて、それが今の彼氏ですって、そういうのはないんかい?
呑気に報告してるけど
若い人ほど進行早いっていうように
周りがドンドン亡くなってて
マジで運が良かったんだなこの子…
※1
ここでいう必要はあるのか?
興味深い話だった
若くして癌になるとあっという間に進行して亡くなるイメージだったが、運命ってヤツがあんだろな
同室のお兄さんらは若いのに気の毒に
妊娠以外でゲロの強制があるから病院手ヤだ
妊娠しないように気をつけててもこんな原因が待ってたんじゃ
だからこの手の病気の話聞くたび怖くなる
色々考えさせられる…
でも、読めて良かった
スレ主さんの人柄や情動に引き込まれて泣きながら見てたところに「レインボーが出たよ!」でフイタ
スレ主さんも妹さんもお父さんお母さんもお幸せに
ヤベェ寝る前に号泣。今を頑張って生きよう。普通が幸せ、ありがたいんだと改めてわかった。
抗がん剤がドンピシャで効いたんだな
効いたり効かなかったり人によるのか効果が全然違うらしいからなぁ
人間はほんとにいつ何が起きるか分からないなぁ
しっかり生きたいと思うけど、ダメな自分もいて反省の毎日だわ
やっぱり人のタヒってどうしてかって言う明確な理由は無いんだなぁ “ただその人だった”ほんとそれだけ
強いて言えば「宇宙が出来たから」だよね
突き詰めて行けば万物は原子、いや電子と陽子の化学反応から存在して動いていく物で、動物は思考力は有るけどそれだって脳細胞内の化学反応な訳で
だから未来は有る意味で既にどうなるかが決まっている 解明することなんて出来やしない
例えそれが分かっていても、
それでも生きて行こう、明日を見に行こうとするのが人間だよね
いい話を読ませて頂きました
完治されて本当に良かったです
長文失礼致しました
生きれる一方で亡くなる方もいる
明日献血行ってくるわ
泣けるな。江戸前さん子供がいて無念だったろうに。
この先、どんなに辛い事があってもガンガン乗り越えていけそうな人だ。
でもそうなる前には想像を絶する過酷な経験をしててさ。尊敬するわ
スレ主さんの人柄が文章に表れてたな
優しくて強くていい子だ
ワイ
テレビお兄さんのお母さんが「なんでアンタじゃなくて息子タンなの!アンタが氏ねば良かったのに!」的な展開を想像し、生活板脳に冒されていることを再認識して震える
そーいや癌の治療中はチーズ食えないんだってな
文章ノリがよくてうまいな
この間姪っ子が癌で亡くなったんだよ
食べることが好きでねえ前向きで、遠慮してと言われてたからお見舞いには行かなかった
ステージ4なのに本人ノンキに治るつもりだったと聞いた
なんか会えなかった時期の姪っ子と重なって嬉しかったよ
ありがとうね
今まさに幼なじみが癌で闘病生活を送っている。
読んでて涙が止まらんかった。
若くて進行も早いけど、若いから年配の患者に比べて容赦なく抗がん剤ぶちこめるから、若さも一長一短だと。
風来のシレン…
私もやってた。
これからも頑張って!
入院中に 若いのに可哀想に…とか知らない人に言われたけど……
ぜーんぜん!元気!すこぶる元気!なのに涙がでたな…もうあの頃には戻りたくないけど…入院生活長いと…顔見知りのイケメンの先生と話せて嬉しかった ゲヘゲヘ
自分も、若くして卵巣茎捻転で3回捻れ経験して拳大3つと他にも腫瘍出来て(癌ではなかったが)、
最終的に捻れ→腫瘍破裂→ショック状態→緊急で開腹でなんとか助かったんだけど、
手術なんて一生縁ないと思ってたが、そういう大きな経験すると
こうして普通に生きることが出来るってどれだけ素晴らしいか身を以て実感するよね。
報告者も自分も再発しませんように。
改めて癌の怖さを知った
自分の大切な家族が癌になって欲しくないなって思った
若いのによく頑張りましたね
ガンの種類によって違うと思うけど、抗がん剤の吐き気止めは現在では非常に進歩していて、心配いらないよ!
一時期「赤い悪魔」と言われてたキツい抗がん剤をする事になって心配したけど、吐きやすい私でも、半年で一回も吐き気無かったよ!便秘の方が辛かったわw。
明るくて良い子なのが分かる
だからクラスの皆にも好かれていたんだろうな
江戸前さんとテレビお兄さんのくだりは泣いた