kwsk
kwsk有難う。
今から10年前当時30歳で転職した入った職場で初めて参加した社員旅行にかわいい女の子(嫁)がいた。
当時小学4年生の嫁は目もくりくりしていて、
いかにも育ちの良い丸襟の白いブラウスに水色のエプロンワンピースを着て白いハイソックスと真っ黒のベルト付きフォーマルシューズ姿でまるで高級子供服の広告から抜けてきたみたいだった。
何気なく同僚に「あの子、かわいいな」と言ったら「ああ、松嶋女史(松嶋菜々子似の美熟女な部長)のお嬢さんだよ」と言われた。
松嶋女史はいつも濃紺やモスグリーンのスーツにシャネルのスカーフを巻いて仕事も煙草も酒も男以上にこなしてハイヒールをコツコツ鳴らしながら颯爽と仕事をする美人キャリアウーマンだった。
母親はお色気ムンムン、娘は天使と雰囲気はまるで違うが本当に絵になる母娘だった。
隔世遺伝なのか、松嶋女史はノッポなのに対して、嫁は140センチ代で身長が止まったし、あんま似てない親子だなとは思うが、2人とも美人だ。(嫁によると嫁の実父や両祖父は背が高い人だそうだが母方祖母がかなり小さい人だったみたいだから祖母の遺伝かな?)
社員旅行は子連れの社員も多かったが、私立小育ちの嫁は同年代の粗暴な子どもたちと相性が合わず社員旅行ではぼっちだった。
松嶋女史は嫁が小さい頃に嫁の父親と離婚して以来、毎日夜遅くまで仕事で休日もめったに遊びに連れて行けないから社員旅行に連れてきたのにと悲しそうにしていた。
そこで俺は嫁の遊び相手になったんだが、俺は独身で子供と遊んだ経験ないから嫁とは普通にしりとりするとか、おしゃべりに付き合うぐらいしかできなかった。
それでも松嶋女史には物凄く感謝された。
松嶋女史は社内運動会や社員旅行、BBQなど子連れ可のイベントには毎回嫁を連れてきていてその度に俺は嫁の相手をした。
まあ、中学生ぐらいになると親の会社のイベントに来なくなる子も多いなか、嫁は中学以降も毎年来て小さな子の相手をするようになった。
俺に会いたいから大きくなってからも来ていたと告白されたのはだいぶ後になってから。
とはいえ、嫁は小学校からエスカレータ式に大学まで行けるに関わらず、当時打ち込んでいたマニアックなスポーツのためにその部活がある別の中高一貫校を受験して部活に勤しむなど忙しくなったので俺と嫁の関わりは徐々に減っていった。
バレンタインの義理チョコだけは毎年松嶋女史を通じてもらった。
朝の5時台に嫁が電話をかけてきたのだ。
「俺さん…助けて…」
「どうしたの?嫁ちゃん?」
「ママが!ママが!」
「松嶋部長がどうしたの?」
その日は嫁の誕生日で松嶋女史が珍しく平日に有給を取得していた日だった。
「朝起こしに行ったら息をしていない」
最悪な結末だった。当時、松嶋女史は47歳。
持病も無くジムに通ってママさんバレーもやって健康そのものだった。
取り乱した嫁に代わって俺が救急車を呼んだが搬送先で松嶋女史の死亡が確認された。
後で嫁に聞いたところによると嫁は取り乱して救急車を呼ぶよりも片っ端から知り合いの大人に電話してしまったのだという。
しかし、女医の叔母は昨日の夜から仕事、学校の先生の電話番号はわからないし俺に電話してしまったのだという。
俺は会社に事情を話して嫁のところに向かった。
「俺さん、私1人になっちゃった。」
「1人じゃないよ。これからも俺が見守るから。」
「それって…結婚してくれるってことですか…?」嫁は泣きじゃくりながら聞いた。
「えっ、いや、あの、そういう意味じゃ!
嫁ちゃんと松嶋女史だったら俺、松嶋女史の方が年齢近いんだよ!?
嫁ちゃんぐらいの年だったら同年代のイケメンとかジャニーズにおネツでしょ!?」
嫁は母親のお陰で裕福な生活をしてきたとはいえ案外苦労人だ。こんな純な子が俺みたいなオッサンを好きになったのは過去の辛い経験が影響しているのだろう。
必死に断った。しかし、最終的に手で口を押さえつけれて「私と結婚してくださいますよね?」と脅された。
松嶋女史はかなりの資産を残していたが、嫁は早く家族が欲しいということで大学には進学せず俺の妻に収まった。
自分の誕生日が親の命日だとこの先、誕生日が来るたびにおセンチな気持ちになるから、嬉しい日にしたいと言われたので籍を入れるのは嫁が19歳の誕生日まで待ってその日を結婚記念日にした。
「ママみたいなかっこいい女性に憧れるけど、その分寂しい思いをしてきたから私は家を守るお母さんになりたいの」と言われ、今は専業主婦にしている。
全く!お嬢様学校に通いながら大学行かなかったのなんか嫁ぐらいだぞ。
嫁の願いが叶ったので記念カキコ。
奥さん大切に!
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