単なる養子だった、とか後妻だった、とかそういう話ではないんだ。
俺の半生なんて需要無いことはわかっているが、お前らに聞いて欲しい
俺は生まれは東京、育ちは神奈川。ごくごく中流の家庭に生まれた。
昔からオヤジは陽気な性格、
母さんはとてもオヤジを愛していて、きっと幸せだったんだと思う。
幼稚園児の頃からヤンチャで怒られることが多かった。
小学生の時には詳細書けないが、大事件とも言える事件を起こした時、
母さんが学校に来て涙を流して謝っていた。
俺は幼かったからか、母親の涙の意味なんてわからなかった。
後から母親に初めて殴られたことを覚えてる。
殴られた瞬間に更に母親の涙がとめどなく溢れたことも、強く印象に残ってる。
一応スペック
俺・・・現在27歳。キモメン以上フツメン未満。
母さん・・・46歳。優しい。料理上手い。自然好き。趣味は家庭菜園。
オヤジ・・・陽気。ただのアホ。口癖は「なんくるないさー」。しかし生まれも育ちも関西。
こういうイベントはいつもオヤジと一緒に行っていた。
なぜか母さんはいつだって家で留守番をしている。
町内の他の子供は母親がついてきてくれているのに、とても寂しかった思い出があった。
どうしても今回の温泉旅行には行きたい。俺は元々ワガママを言う子供ではなかったと思う。
しかし、オヤジが出張中で母親についてきて欲しいとせがんだ。
かわりにワザワザ親戚の叔父さんを呼んで、一緒についてきてくれることになったんだ。
「お母さんは僕のことが嫌いなのかな」って叔父さんに言ったら何故か凄い剣幕で怒られた。
幼心にとても怖い経験だったなぁ。
母さんは親戚と疎遠だった。
というより、母さん一人が親戚に嫌われている感じだった。
親戚連中からの扱いはそれはもうひどく、
・あの人(母さん)と話してはいけません!と自分の子供に諭す。
・まるでゴミでも見るような目(今にするとそう感じる)
・母さんの母親が死んだ時、葬式から追い出される。
・年賀状なんて一通も無し。
・オヤジが堅い仕事で蓄えもあることを知るや否や、金の無心。しかし断ると「金の亡者」などと痛烈なバッシング。
だが今は、親戚連中は子供の俺にはその理由がわからないように気を遣っていたんじゃないかって思うようになった。
「なんでお母さんはいじめられてるの?」と聞いたことがあった。
子供残酷w
結局どんなに聞いても、「本当は仲良しなのよ」と母さんはずっと笑っていた。
陽気なオヤジもその時は暗い顔をしていた。
母親さん、後妻でもないって何か他にあるかな
中学生になると、俺はずっと勉強の日々。
両親は俺に愛情を注いでくれていたし、それは可愛がってくれたもんだ。
月々の貯蓄を残して、それ以上は使わない!が家訓であった我が家。
俺がどうしても欲しい教材があった時、母さんは臨時のパートに出てまでして教材を買ってくれた。
そんな親の期待を裏切らないように必死で勉強して、
公立学区内でトップの高校に進学することになった。
その時は母さんもオヤジも顔グシャグシャにして喜んで、
胴上げしなきゃ!とか言い出して、マンションの他家庭の人に人手頼んでまで俺を胴上げしてきやがったw
テラ非常識w近所迷惑ww
俺の家庭にはいくつかルールがあった。
・両親の寝室には決して入らない
・ケンカは必ず話し合いで解決する
・その日学校、職場、家であったことはできるだけ話す
そして
・朝の30分、夜の30分、絶対に使ってはいけない部屋がある
どうもかいつまんで話すことも順序立てて話すことも苦手だから時系列などは察してほしい。
中学の頃の部活は水泳部だった。
俺は母親みたいに料理が上手くなりたくて、料理クラブに入りたかったのだが、
母さんが許してくれなかった。
オヤジは「好きなことをやらせてやれ」と言うが
母さんは「もっと男らしく強くなれることをやりなさい!」と運動部を強く勧めてきた。
その夜は、オヤジと母さんが大喧嘩になり、夜中までオヤジの怒鳴り声が聞こえてきた。
ワンワンと泣く母さんの泣き声も聞こえてきた。
陽気なオヤジの怒鳴り声なんて聞いたことがなかった俺はずっと怯えていた。
母さんが運動部を勧めるのには理由があった。
運動自体があまり好きではない俺は体も強くならず学校も休みがちで、
体調のすぐれない俺を母さんはいつもいつもずっと夜遅くまで看病してくれていた。
でも、運動部の理由はそれだけじゃなかった。
場所は某避暑地。
俺はとてもうかれていた。
家族での旅行では、色々な所に行ったが、こういったアウトドア?っぽいのはなく、
オヤジと毎日釣り、BBQ、テニスなどの計画を練って、ずっと楽しみにしてきた。
オヤジは都心に勤めているので、車を持っていなかった。
レンタカーを借り、初めてのオヤジの運転に乗った。
免許持っていない俺でもわかる運転の危うさw
しかしそれも旅のスパイス。
三人で歌を歌いながら、目的地を目指していた。
高校生にもなって家族仲良すぎw
思えば反抗期なんてものはそれまでの人生でなかったように思う。
オヤジのことを愛していたし、母さんのことも愛していた。
母さんは夜のカレーの食材を買いに。
いい感じで汗をかいて戻ってきたら、楽しいカレー作りの始まり。
包丁なんて持ったことないオヤジはおもいっきり指切ってたw
「ニンジンも赤いから多少血がついても問題ないだろ」
とかワケのわからんこと言うオヤジw
「やべ・・タマネギで涙出てきた・・・ゴーグル取って」
小学生かオヤジw
とても美味しかったのを覚えている。
でも、その食事を最後に向こう三年間、家族で食卓を囲むことはなかった。
旅先で浮かれていたんだろう。
俺は我が家の禁を犯してしまった。
コテージの中は入り組んでいて、どこに何があるかわからない。
トイレに向かった俺がドアを開く。
そこには母さんがいた。
そこは風呂場だった。
母さんの股間に
見慣れた物がついていた。
頭がおかしくなった。
とりあえず叫んだ。
後から聞いたが、30秒くらい叫んでたらしい。
それくらいのパニックに陥っていた。
何がなんだかわからなくなった俺は、飛び出して行ってしまった。
外は真っ暗闇だった。
だが、ワケがわからなくて、叫びながら走った。
本当に頭がおかしくなっていたと思う
順調に生活していたら、今、子供は小学生か。幸せに過ごしてるといいな。
息子がでかくなるまで全力で隠して話さなかったのに
「そんなに恥ずかしい?」ってか
もうちょっと人物像を練れ
本当の両親他界しすぎぃ
隠しても良いと言いながら男装して顔合わせに来てるし。
色々と気持ち悪い所満載。
衝撃の展開。泣けた;;