799: 2007/06/05(火) 07:44:33 ID:yqdajagY0
俺は初孫だったせいか、祖父母から本当に可愛がってもらっていたし、
俺もそんな祖父母が大好きだった。だから小学生になるまでの間は大抵、
車で二時間ほどの距離にいる祖父母の家で寝泊りしていた。両親も幼い
妹の子育てが大変でその方が都合が良かったのかもしれないけど・・・。
若い頃、陸上選手として活躍していたという祖父は老体にムチ打って、
やんちゃな俺と遊んでくれていた。遊び疲れて家に戻るといつも、
祖父より一回り上の祖母が俺の大好きなハンバーグや唐揚を作って待っていてくれた。
小学校に入ってからは、盆と正月くらいしか会うことができなくなったけど、
年に二回祖父母に会うことが一番の楽しみだった。
年老いたとはいえ、同年代の人よりは頑強そうに見えた祖父だったけど、
俺が中学生になった年の夏、腎臓を悪くして透析を受けるため俺の家と
祖父母の家の中間ぐらいにある病院に入院することになった。
俺は大好きな祖父に会いに行くという口実のもと、単なる小遣いせびりで
毎週のように見舞いに行った。
そんな生活が六年続いた。週三回の人工透析を受けていた祖父の顔色は
不自然な茶褐色になっていたけど、単なる小遣いせびりだと分かっていた
はずなのに俺が見舞いに行くたびに茶色い顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。
でも最期の時期が分かっていたのかもしれないけど、俺が大学に合格して
札幌から京都へ行くことになったと告げに行った時、祖父は泣いていた。
「おめでとう。でも、もういつも会えなくなると思うと、じいちゃんは寂しい」
「夏休みになったら、会いに来るから」
昔気質で人前で涙を見せることなんかなかった祖父の涙を見たのはその時が
最初で最後だった。
約束通り、夏休みになってすぐに俺は祖父に会いに行った。その頃、祖父は
癌を併発していて、陸上選手として活躍していた頃には魂だったはずの右足が
冒されていて、足首から先を切断され失っていた。
その姿を見て心配になった俺は主治医に会いに行った。祖母や両親にもまだ
告知していなかったらしいが、六年間毎週のように見舞いに行っていた俺のことを
覚えていてくれた主治医は俺に本当のことを教えてくれた。
余命半年だった。
それからも京都に戻るまで毎週見舞いに行った。京都に戻る前に最後に会いに行くと、
祖父は今にも消え入りそうな声を振り絞ってくれた。
「次はいつ会えるかな? 今日が最後になるのかなぁ・・・」
「じいちゃんとはこれからだって何回も会えるよ。次は春休みに帰ってくるよ」
「春休みかぁ。長いなぁ・・・」
「何を言ってるんだよ。春休みまでには車椅子じゃなく松葉杖で歩けるように
なっていてよ。昔みたいに一緒に散歩しような」
車椅子で病院の玄関まで見送りに来てくれた祖父の姿が俺にとって最後に見た
祖父の元気な姿だった。
春休みが目前に迫ってきて、俺は大好きな祖父に会うために飛行機の予約をした。
帰省前日の仕度を終え、翌日の朝一番の飛行機に乗るため、いつもより早く寝ることにした。
主治医から告げられていた半年をわずかに過ぎていたこともあり、病状が多少でも持ち直して
いるんじゃないかと楽観していたし、明日また祖父に会えることを楽しみにしていた。
祖父に会えないなんて疑いもしていなかった。
そしてその明け方のことだけど。電気を消して寝ていたのに、ふと部屋が明るくなった。
「じいちゃん、頑張ってみたけど、約束を守れなかった。ごめんね、**(俺の名前)」
目の前には確かに祖父がいたはずなのに、また部屋が暗くなって、祖父の姿も見えなくなった。
その時、電話が鳴った。母からだった。たった今、祖父が息を引き取ったという。
数日前から危険な状態に陥っていた祖父は、「**が帰ってくるんだから、それまで頑張る。
余計な心配を掛けたくないから、**には言うな」と言っていたらしい。
その年の夏休み、一人になってしまった祖母に会いに行った。
手が思うように動かなくなり、包丁もまともに握れなくなっていた祖母は、
「ばあちゃんの作る不味いご飯なんか食べたくないだろうから、出前で寿司を取ろう」
と言ってくれた。もともと体の弱かった祖母にはもはや外出する体力もなかったんだと思う。
それから祖母の家にいる間はずっと出前ばかりだった。
「せっかく来てくれたのに、何もしてあげられなくてゴメンね」
わずかな年金で暮らしているはずの祖母なのに、俺がいる間、ずっと出前を
取ってくれたのに・・・。それでもまだ俺は性懲りもなく小遣いをせびっていた・・・。
「ばあちゃんは、じいちゃんみたいに器用じゃないから、タヒぬ時は**ちゃんに
迷惑掛けてしまうけど、ばあちゃんのこと嫌わないでね」
大学に入って二回目の学年末試験の最中だった。ある夜、突然部屋の中が明るくなった。
「試験中なのに、ゴメンね。どうしても会いたくなって、**ちゃんに会いにきた」
そこには俺の大好きだった祖母が満面の笑顔で立っていた・・・。はずなのに、
また部屋は暗くなっていて、祖母の姿も見えなくなっていた。
と、同時に電話が鳴った。どういう電話なのか俺は理解していたように思う。
それ以来、寝ている時に部屋が明るくなると、大事な人を失ってしまうような気がして、
寝る時はいつも電気をつけたまま寝るようになった。
結婚してからもしばらくはそうだった。でも子供が生まれてからは、子供をゆっくる
眠らせるためということで、電気を消すようになった。その頃には暗い部屋で寝ることも
気にならなくなってきていた。子供が生まれてすぐに立ち上げた会社もうまくいっていた。
ところが二人目の子供も生まれて何もかも順風満帆だと思っていた頃に会社の業績が悪化し始めた。
その夜、結婚してから慣れてしまった暗い部屋で寝ていると、また突然明るくなった。
「**ちゃんを守ってあげられなくてゴメンね」
そこには確かに祖父母がいた。
しばらくしないうちに、嫁とは家庭内別居状態になり、そしてついに離婚話を切り出された。
それからは本当に暗い部屋で寝れなくなった。長文スマン
心霊ちょっと不甲斐無い話?
追い討ちをかけるようなことを言わないの(´・ω・`)
・彼と別れて何年も経ってから警察から連絡があった。『元カレが私の命を狙っているから危ない』と…
・「門前の小僧、習わぬ経を読む」というコトワザの『生きた見本』を見た。子供の吸収力、恐るべし。
・中学の部活にみんなから好かれている後輩がいて、私達は引退する時に後輩を部長に指名した。→後輩がいじめの主犯格だった…
・男友達が連れてる女の子はいつも違ってた。私「いったい誰が本物の彼女?てかみんな美人」共通の友達「あれ全部同一人物。二十面相って言われてる」私「!?」
・某芸能人の講演があるということで友人に招待されて観に行った。着いた先は層化の会館…
・食券形式のラーメン屋で、恋人が先に自分のラーメンを購入してさっさと行ってしまった。別に奢れよとは思わないけどさ、せめて…
・就職した先でお客さんが突然「ジャージがボーン」と言い出した。聞き間違いかと思ったけど他のお客さんも言う。
・小学校の時、同級生が国語の反対の言葉を書くテストで0点取って親呼び出しくらってた。「大きなりんご」→「ごんりなきおお」
・廃校になった校舎が「明治末期の優れた洋式校舎、全国的にも貴重な建物」っってことで教育資料館として残そうという話が出た。ところが、DQNたちの集会場になってしまい…
・コーヒーに塩を入れて飲んだ瞬間の衝撃。温めた飲むヨーグルトにコーヒーを入れて飲んだ瞬間の衝撃。
・嫌いな食材があってそれを結婚前から伝えてたのに最近その食材ばっかり出してくる。
・彼が爪の中の汚れをとる時にアレを使っててゾッとした。
・雨宿りをしている親子をみかけた。ベビーカーはびしょ濡れで抱っこされてる子供は調子が悪そうに見えたので俺の傘を貸した。後日…
・歳上の友人に何度かプレゼントを贈ったら「高確率で丁度ほしい物をくれる」と言われた。SNSとかで呟いてもないのにビックリ!
・同じ学部の男子学生の精一杯カッコつけた痛々しい自撮りがVIPに晒されてた。「うわぁこいつ知ってる奴だわ」と思ってたら…
・知人が凍ったマンホールの上をバイクで走ってすっ転んだ。外傷は全くないし臓器も何ともないのに亡くなった。
・友達10人くらいで肝試しに行った帰り、いきなり1台の車が止まった。そして「こらぁー!」と言いながら走ってきた。
・友人と「親から受けた躾」の話になり、大抵の人は親から殴られたりしていないと知って驚いた。
・父が癌で亡くなった。→お棺を開けると父の鼻から血が出ていたのでティッシュで拭いた。葬儀場に行こうと皆でお棺を持ち上げた瞬間…ドバババババー
引用元: https://hobby9.5ch.net/test/read.cgi/occult/1168781876/
余命幾許もない爺さんや年金で生活してる婆さんに出前取らせたり小遣いせびったりしてるからそういう事になるんだよ屑
因果応報だろ
いくらもらってたかは知らないけど、それでもよく会いに行ってたのは偉いなと思う。実家にも帰らない自分を思うと、心からお祖父様とお祖母様を大事にしていたと思う。
離婚はまぁ別な話だね。
食事作ってもらうか出前の2択ってのがもうなぁ…
上手じゃなくても調べたり本読んだりして作ってあげたらおばあちゃん喜んだと思うんだけど
基本スタンスが「してもらう側」だったから離婚になったのかね、なんて邪推してしまうわ
良かった、コメ欄はまともだ。
僅かな年金暮らしのおじいちゃん達に小遣いせびったり手が動かないおばあちゃんに飯作らせようとしたり、何なのコイツ。
クズ中のクズじゃん。嫁さんもお前のクズ具合に嫌気さしたんだろ。
胸クソ悪い。